松ヶ岡(旧山﨑家住宅)では、毎月第4土曜日の午前10時から午後3時まで一般公開を行っています。
11月の一般公開日は23日(土)です。
令和2年度から行われていた主屋(おもや)の大規模修復が、令和5年6月末で完了しました。
以降の一般公開では、離れや二階屋に加え、修復後の主屋も見学いただけます。
第4土曜日の午前8時から9時は、市民ボランティアによる清掃活動も行われています。
清掃活動はどなたでも参加できますので、興味を持たれた方はぜひご参加ください。
※主屋に引き続き行われている長屋門等の修復工事に伴い、駐車場が狭くなっています。ご注意ください。
修復が完了した主屋の外観
松ヶ岡が明治天皇聖蹟に指定された昭和8年(1933)の姿に復元しています。
現在、長屋門の修復工事が進行中です。瓦の葺き替えがほぼ完了しました。
掛川大祭三大余興の一つ「獅子舞かんからまち」は、昭和30年(1955年)に指定された静岡県無形民俗文化財であり、掛川城御殿の中で殿様の前でもワラジ履きで舞うことが許された格式高い舞であるといわれています。
10月12日に、市民ボランティアが中心となり、獅子舞かんからまちを松ヶ岡で披露する機会を創出しました。
当日は天気にも恵まれ、200人近い方が、6年ぶりの掛川大祭と松ヶ岡でのかんからまち披露を楽しみました。
10月5日、6日に静岡文化芸術大学学生の作品展「あいあわい展」が開催されました。
「あわい」とは2つのものが重なるところを意味しています。
松ヶ岡(旧山﨑家住宅)は、様々な時を刻んだ建築があいまじわり、人々のあいに育まれてきた場所です。
伝統と未来が繋がるあわいのただなかに、金工、染、織、木漆芸、伝統建築、陶芸の作品を展示することで、松ヶ岡を訪れる人々との新たなあわいと出会いを創り出しました。
本展覧会では、静岡文化芸術大学デザイン学科匠領域3年生14名が、事前に松ヶ岡の歴史などを学習し、その学びから新たな作品構想・制作、展示を行いました。
展覧会には2日間で167人が来場し、歴史的建造物の中の作品や学生の解説を楽しんでいました。
9月28日、29日に一般社団法人日本庭園協会主催の伝統庭園技塾が松ヶ岡で開催されました。
昨年度に引き続き2回目の開催であり、本年は全国から約30人の造園関係者が集まり、石灯篭の据え直し、園路修復、古庭園修復に伴う調査等を行いました。
参加者からは、「石灯篭の据え直しは、仕事ではなかなか体験することがなく貴重であった。」「普段の仕事は1人で行っているが、この研修ではいろいろな人と意見交換をしながら作業を進めるため勉強になった。」といった声がありました。
作業には市民ボランティア松ヶ岡を愛する会も参加し、市民参加で庭園の整備が進みました。
このほど松ヶ岡を会場に、静岡県文化財建造物監理士実践力向上講習会が行われました。
この講習会は、文化財建造物修理において設計監理業務を担える静岡県内の人材を育成するためのもので、松ヶ岡は現場演習の会場となりました。
8月の猛暑の中での開催でしたが、11名の参加者は2日間かけ熱心に、建物見学、実測、工事現場の見学等を行い、知識と技術の向上に努めました。
以善会(いぜんかい)は、松ヶ岡に関する歴史や建築を勉強し、史料整理などを行っているボランティアグループです。
活動成果の第16弾は、前回に引き続き、掛川藩校の教授松崎慊堂が掛川藩主に提出した意見書について考察したレポートの続編です。
どうぞご覧ください。
過去の以善会レポート
松ヶ岡の長屋門において、令和6年5月25日(土)、文化財建造物修復工事体験会が行われました。
参加した約20人の親子は、工事業者から土壁についての説明を受けた後、長屋門の内側から壁土をつける作業を体験しました。
参加者がつけた壁土は、職人がコテで仕上げを行い、市指定文化財松ヶ岡の一部として、今後の松ヶ岡を守っていきます。
参加者からは、「普通の土とはちょっと違って不思議な感触だった。」「土の匂いが気になったけど、楽しかった。」といった感想が聞かれました。
松ヶ岡(旧山﨑家住宅)において、令和6年1月7日(日)、地域おこし協力隊と掛川市との共催で「二十歳の集い写真撮影会」が開催されました。
これは、二十歳を迎える方々に、ご家族など大切な人と松ヶ岡で記念写真を撮影してもらい、松ヶ岡を人生の大切な場所にしてもらいたいという趣旨で企画したものです。
当日は天気にも恵まれ、二十歳の方とそのご家族約30人が、松ヶ岡庭園や邸宅内で多くの写真を撮影していました。
素晴らしい写真がたくさん撮れましたので、ここでいくつかを紹介します。
11月12日(日)、掛川藩太田会が松ヶ岡を訪問しました。
「千葉県太田会」との交流は今年で10回目を迎え、今回は掛川藩に関わりをもった松ヶ岡を訪問し、
市民と親交を深めました。
特に松ヶ岡内では、掛川藩25代城主太田資始(おおた すけもと)直筆の書や、掛川藩の御用絵師で
あった村松以弘(むらまつ いこう)の富士山と白糸の滝を描いた「瀑布白糸眞図」、掛川藩校の教授
松崎慊堂(まつざき こうどう)の「富士峰の詩」などが飾られ、太田会28名と市民は掛川藩ゆかりの
品々に親しみました。
太田会の方々からは「今後も繋がりをもっていきたい」、「今度は家族を連れて掛川へ来たい」との
声が聞かれました。
掛川藩太田会は、今から155年前(明治元年)、掛川藩は松尾藩(現千葉県山武市)へ移され廃藩と
なりました。太田会は、藩主と移り住んだ人々を祖先にもつ会で、掛川市にある先祖の墓参等を行って
います。
今回の掛川来訪に際し、市長の出迎えと、歓迎の言葉が贈られました。
正願寺墓参の後、掛川城 三の丸広場にて。
市長挨拶は、掛川城 天守閣を背景に行われました。
松ヶ岡 主屋の表座敷にて。
掛川藩ゆかりの品 「偕楽園石碑」(拓本)を見学。
令和2年10月に主屋の修復工事開始に伴い設置した素屋根について、屋根の葺き替えや外壁の修理が完了したため、解体を行っています。
これにより、2年7か月ぶりに主屋の外観が見え始めています。
主屋部分の完成まであと少しです。