◆掛川城
15世紀末、駿河守護今川氏の遠江進出の足掛かりとして、重臣朝比奈氏により築かれたことに始まります。戦国時代には、掛川城を舞台に今川氏真と徳川家康の間で半年間及ぶ攻防戦が展開されました。
豊臣秀吉が天下統一すると山内一豊が入城、石垣を築き、天守に代表される高層の瓦葺き建物を建て、近世掛川城の礎を築きました。
>掛川城 家康読本 Webサイト
◆高天神城
天正6~8年(1578~80)頃の高天神城(作画・考証 香川元太郎)
高天神城をめぐって徳川家康と武田信玄・勝頼父子の間で繰り広げられた激しい戦いは、戦国時代を代表する攻城戦として有名です。「高天神城を制する者は、遠州を制する」と言われ、遠江(静岡県西部)の命運を握る存在でした。横堀・堀切・土塁等の土の城の遺構が落城から400年以上を経過した現在でも明瞭に残されています。
>今、よみがえる高天神城 Webサイト
◆横須賀城
横須賀惣絵図(部分)
徳川家康が高天神城奪還の拠点として築いた城。当時の横須賀は遠州灘からの入江が城の南側まで迫っており、水運を生かした兵站の拠点として重要な役割を担っていました。高天神城落城後も海上交通の拠点として城は維持されました。明治維新で建物は失われたものの、全国的に珍しい丸石を使った玉石垣が復元されています。
戦国時代 掛川三城物語御城印
今川、武田、徳川による遠州を巡る争いを表現した掛川城、高天神城、横須賀城の御城印。
掛川観光協会ビジターセンターおよび掛川南部観光案内処の2ヶ所にて取り扱い中。
◆高天神六砦
小笠山砦・能ヶ坂砦・火ヶ峰砦・獅子ヶ鼻砦・中村砦・三井山砦
徳川家康は高天神城奪還のために、天正6~8年(1577~79)にかけ高天神城を包囲するように21にも及ぶ城砦群を築城しました。その内、小笠山砦・能ヶ坂砦・火ヶ峰砦・獅子ヶ鼻砦・中村砦・三井山砦の6つは高天神城六砦と呼ばれる中心的な城砦で、高天神城を包囲する目的とともに、武器・兵糧等の物資搬入搬出を目的とした砦、主要道を押さえる砦、監視のための砦等に機能分化されていました。
◆馬伏塚城
高天神城包囲網である六砦をはじめとする城砦群に加え、効率的な武器・兵糧の物資搬入搬出ための兵站基地として、馬伏塚城を大改修し、さらに岡崎の城山と横須賀城を結ぶ兵站ルートを構築しました。馬伏塚城は、湾入した入江に囲まれた水運に恵まれた城郭でした。