徳川家康が造った本丸虎口の構造と機能

徳川家康の影響下で造られた掛川城本丸虎口、その構造と機能を探ってみましょう。
 三日月堀・十露盤堀・内堀(松尾池)に囲郭された本丸虎口は、攻めにくく守りやすいように工夫されていることが特徴です。一般的に三日月堀を配した虎口(城の出入り口)は、馬出と呼ばれます。虎口の前面に三日月堀と呼ばれる半円形の空堀を配した小さな曲輪を設け、その小曲輪が前線基地と防御拠点の役を果たします。
 門の前面に馬出があると一見邪魔なように見えますが、攻め手は馬出があることで真っ直ぐに虎口に攻め込むことができません。また、馬出内からは鉄砲や弓矢で攻め手に攻撃することができます。半円形状になっているため死角が発生しないようになっていることも特徴です。さらに攻め手がひるんだら、両脇の虎口から打って出る追撃も可能です。撤収の際には、馬出からの掩護射撃により速やかかつ安全に撤収することができます。
 三日月堀を用いた馬出はその形状から丸馬出と呼ばれ、諏訪原城(島田市)、小山城(吉田町)などの武田氏によって築かれた城郭に見られます。
 掛川城の三日月堀・十露盤堀・内堀(松尾池)に囲郭された本丸虎口も馬出と同様の機能を有していたと考えられます。近年の発掘調査や研究によれば、諏訪原城の丸馬出は天正6年(1578)頃、徳川氏の改修によって規模が拡張されたものであることが判明しています。掛川城の本丸虎口も同じ頃に徳川氏により築かれたと考えられます。掛川城の場合、三日月堀背後の十露盤堀と内堀が食い違うようにずらされていること、三日月堀が弧を描くと言うより十露盤堀と内堀に対し矩形を呈すように配置されていることから、馬出より進んだ型式の枡形※16を指向した形態とも見えます。


※16【桝形】虎口(城の出入口)の前面に方形の空間を設けることで、攻め手は直角に曲がらないと門へ入れず、守り手は攻め手に対し横側から攻撃できるような技巧的な虎口形態。
曲輪の外側に飛び出して造られものを外桝形(出桝形)と呼び、曲輪の内側に設けられたものを内桝形と呼ぶ。


掛川城本丸虎口
掛川城本丸虎口平面図


攻め手は三日月堀により左右に分断され、守り手は馬出内から横矢(側面)攻撃できる。
攻め手がどちらか一方に戦力を集中した場合、反対の虎口から出撃し、その後方から攻めることができる。
横矢により攻め手の攻撃力が低下したら、すかさず両虎口から出撃することができる。
守り手が撤収する際は、馬出内から掩護の攻撃を行い速やかに撤収できる。
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