平成27年12月、掛川市を訪れ、たくさんの人から二宮尊徳の報徳思想が、現在の地域の人たちの生き方、生活、まちづくりの中に生きていること(JR掛川駅建設、掛川城復元など)をお聞きして、日本にこんなところがあるのだと感銘を覚えました。
それぞれの地域で人々が大切に思い、受け継ぎ、引き継いでいくものが文化遺産だとすれば、報徳思想の息づいている掛川市そのものが文化遺産なのだと感じました。(「ヨイショ」しているのではありません)
「文化遺産をガイドするということ」という「剛速球」のテーマをいただき、非力を自覚せず、気安くお引き受けしましたので、振り遅れの「内野フライ」のような内容になることを、お断りして、私が世界文化遺産の「石見銀山遺跡とその文化的景観」をガイドするとき、頭においていることを書かせて頂こうと思います。
石見銀山は、中学校の歴史の教科書でも「世界に大きな影響を与えた銀山」と記されています。
「石見銀山遺跡」に関するところをご案内するときは、昔、銀生産に携わった人たちの仕事ぶりや暮らしに思いを馳せ、今の社会や自分の生き方に重ね合わせてご覧いただければと思っています。
「真っ暗な穴の中で銀を掘るのは怖かったでしょうね」「子どもたちを残して30歳で亡くなった坑夫さんたちは辛かったでしょうね」などなどのお客様の感想をお聞きすると、昔の人たちとも交流していただいているのだと思えます。
「文化的景観」を代表するのは大森町の町並みですが、ここをご案内するときは、町のみなさんが60年近い年月をかけて町並みを守られてきた思いや、取り組みを中心にご案内するようにしています。
「この町を本当に大事にしておられるのでね」「ゴミが落ちていないですね」などなどのお声をお聞きすると、ご自分の町と重ね合わせてご覧になっているのだと思えます。
文化遺産には、その当時の人々の暮らしや思いが残されています。そして、それを大切に思い、受け継ぎ、引き継いでこられた地域のみなさんの思いが込められていると思います。
文化遺産をガイドするということは、自分の人生をふまえて、昔の人、今生きている人とお客様との交流の橋渡しをすることなのかもしれないと思います。
安立 聖